《コラム》言葉は人格

「言葉」それ自体は、時を経て変化していくものです。ですから、イマドキノワカモノコトバ・・・などと野暮なことを言う気はまったくありません。時には、あえて「マジ卍〜!」と言うほうが良いタイミングもあるでしょう。

しかし、言葉使いには必ず表れるものがあります。隠しても滲み出てしまうものが。

よく行くケーキ屋さんがあります。まあまあ古くから地元に親しまれているお店で、とても優しそうな旦那様と奥様が経営されています。先日、美味しそうないちごのデザートを買いました。お会計を済ませて商品を受け取った時、「いちごは涼しいお部屋に置いてあげてくださいね。冷蔵庫に入れてしまうと甘みが遠のいてしまいます。」とおっしゃいました。

甘みが遠のく・・・

ああ、なんて美しいそして奥ゆかしい表現なんでしょう。私はなんだかとても優しい気持ちになってお店を出ました。

 

言葉に現れてしまうもの、それは人柄や民度、品格と言ってもいいでしょう。

では品格って何でしょう。辞書には「厳かさ」「高貴さ」のような意味が載っていますが、「気品」とも言うように、目には見えずに感じるものだと思います。そこはかとなく漂うような。

私なりの『品格』の解釈は、やはり「周りの人をいかに慮ること、思い遣ることができるか。またそれを行動、表現できるか」ということだと思います。それができる人が『品格がある人』だと。

件のケーキ屋さんのケーキが美味しいはずです。地元に愛されて長く経営が続いているわけです。

品良く見せようと、とってつけたような付け焼き刃でやたらに丁寧でお上品な言葉を使っても、どことなく・・・の品の無さはごまかせません。言葉に表れてしまうもの、それは年配の人とか若い人とか、時代や年代に関係なく個体差であり、人格なのです。

美しい言葉を使うように心がけていくと、自然と気持ちも穏やかになっていきます。人の品格は必ずしも生まれや育ちからしか得られないわけではありません。日頃よく使う言葉を変えてみると、心の中にも変化が表れてきます。美しく、聞いていて気持ちの良い言葉を使いたいですね。だって、自分の言葉を近くで一番真っ先に聞いているのは自分の耳ですから。